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【親子でぶらり 学べるスポット】

新井白石と久留里(千葉県君津市) 白石の足跡残る上総の地

久留里の城山からかつての城下を見渡す=千葉県君津市で

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 江戸時代に「正徳の治」の立役者となった儒学者の新井白石(1657〜1725年)。その銅像が千葉県君津市の市立久留里城址(じょうし)資料館前に立っている。副館長の平塚憲一さんは「白石の像を見て、なぜここにあるのかと首をひねる来館者はけっこういます」と語る。

 白石の父は上総久留里藩の土屋家に出仕。ほとんど江戸詰だったようで、白石も江戸で生まれた。3歳で草紙を書写し、6歳で詩(七言絶句)を暗唱。幼少期から俊才ぶりを発揮し、藩主利直に侍した。だが、利直が死ぬと跡継ぎの直樹(なおき)に追放され、浪人の身に。21歳だった。

 やがて大老堀田正俊の下総古河藩に出仕したが、その正俊が江戸城内で若年寄稲葉正休に刺殺される。正休はその場で殺された。堀田家はその後山形、福島と国替えされて藩財政が悪化。白石は自ら堀田家を退いた。

 白石は30歳で儒学者木下順庵に入門した。順庵が加賀藩への仕官の口をもってきたが、老母が加賀にいるという同門の者に譲った。その後甲府徳川家に推挙され、藩主綱豊の侍講に。綱豊はのちの家宣。6代将軍となる。無役の旗本ながら政治顧問として幕政を主導し、歴史にその名を刻むことになった。

 白石は久留里にどれほど足を運んだのか。利直に随従し、その所領を訪れたことは自伝『折たく柴の記』にも書かれている。「何回来たかは判然としません。ただ、江戸にいても久留里の人とは交流を絶やさなかった」と平塚さん。のちに政治家となった白石が、久留里の友人から贈られた自然薯(じねんじょ)の礼を述べた書簡が地元に残っている。

 白石の事績を巡ってはとかくあろうが、閑院宮の創設は彼の建議による。この宮家があって皇統が維持された。世は平成から令和へと移った。睨(ね)めつけるような険しい面立ちの白石像をもう一度仰いだ。 (小鷲正勝)

◆ひとこと

 「新井白石が若いころにつくった『陶情詩集』は朝鮮通信使が序を寄せてくれたほど。100ある詩の2番目の五言律詩は久留里城のことを詠(よ)んでいます」と平塚さん。

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 ★メモ 千葉県君津市久留里内山。JR久留里駅から徒歩35分、高速バス(東京−鴨川)アクシー号、同(千葉−鴨川)カピーナ号で「久留里城三の丸跡」下車徒歩15分。資料館は二の丸跡にあり「郷土を掘る」「城と武士」「信仰と文化」の3部構成で、市内の出土遺物、刀剣、調度品などを展示。君津発祥の掘り抜き井戸工法「上総掘り」の用具も。本丸跡には再建天守がそびえる。(電)0439・27・3478

●足を延ばせば…

 ★君津市森林体験交流センター 君津市久留里市場1018。JR久留里駅から徒歩30分。高速バス久留里城三の丸跡から徒歩15分。「久留里城甲冑(かっちゅう)会」が作った本物さながらの甲冑着付け体験、木工や竹工などの工作も。開館9〜17時。着付け体験は11〜16時(最終受け付け15時まで)、大人500円、子ども300円。原則月曜日休館。(電)0439・27・2422

 ★きみつふるさと物産館(道の駅) 君津市笹1766の3。高速バス君津ふるさと物産館下車すぐ。地元農家が生産した農産物などを販売。平成の名水百選に選ばれた久留里の水で仕込んだ地酒なども販売している。同館周辺には片倉ダム記念館や笹川湖展望台がある。開館は9〜18時。年末年始除き無休。(電)0439・39・3939

 

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