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【親子でぶらり 学べるスポット】

鎌倉虚子立子記念館(神奈川県鎌倉市) 虚子と立子の自筆句など展示  

あふれるような緑に包まれた鎌倉虚子立子記念館。展示品だけでなく庭園も美しい

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 近代俳句の巨人といえば、高浜虚子(1874〜1959年)。85歳の長寿をまっとうし大正、昭和の俳壇に君臨した。虚子が亡くなって今年で60年。折しも民放番組「プレバト」人気などで俳句ブームが再燃しており、来館者も多い。

 鎌倉は虚子が亡くなるまで長らく暮らした。記念館はその鎌倉に2001(平成13年)9月に開館。緑に囲まれた400坪の土地に2階建ての瀟洒(しょうしゃ)な建物が立つ。館内には虚子と、次女で女流俳人の草分けとなった星野立子(1903〜84年)の自筆の句短冊をはじめ、虚子の短冊百句を貼り付けた屏風(びょうぶ)、立子の愛用した机と椅子、立子の義父で文学者などとして知られる星野天知が使った大きな硯(すずり)、貴重な手紙や句集など約300点が所蔵・展示されている。

 庭園には、開館時に設置された巨石に虚子の<鎌倉を驚かしたる余寒あり>と立子の<父がつけしわが名立子や月を仰ぐ>の両句が刻まれた句碑がどっしりと立つ。ほかにもさまざまな俳人の句碑が緑に隠れるように百基ほど並んでいる。

 「曽祖父の虚子の家にはよく遊びに行きましたが、お能をたしなむ人だっただけにすり足で歩く、もの静かな人でした。立子はとても孫思いで、塾帰りに迎えに来てくれたり、ドライブが好きで私の運転で山中湖や比叡山などあちこち一緒に巡りました」と館長の星野高士さん(66)は懐かしそうに語る。

 虚子の主宰した俳句結社は「ホトトギス」だが、虚子は立子の才能を早くから見抜き、子育てに忙しかった立子に昭和5(1930)年、「玉藻」という結社を起こさせた。祖母・立子、母・椿さんのあとを受け、高士さんはいま3代目の主宰者として千人近い弟子の指導に忙しい。

 「弟子の平均は70代ですが、頭を使ってよく歩く俳句をやるのでみな元気になる。虚子と立子の教えをしっかりと伝えていきたい」と高士さんは言う。 (藤英樹)

◆ひとこと

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 虚子は弟子に「客観写生」「花鳥諷詠(ふうえい)」のスローガンを掲げた。「花鳥諷詠とは花や鳥だけでなく、人の心をおおらかに慈愛をもって詠(うた)うこと」(高士さん)という。

 ★メモ 神奈川県鎌倉市二階堂231の1。鎌倉駅から「大塔宮」行きバスで終点下車、徒歩約10分。開館は10時〜16時半。休館日は日曜、祝日、年末年始。施設維持費として1人500円の寄付をお願いしている。事前に来館の旨を伝えるのがよい。句会室もある(有料)。(電)0467・61・2688

●足を延ばせば…

 ★国指定史跡永福(ようふく)寺跡 バス停「大塔宮」から鎌倉虚子立子記念館へ向かう道沿いにある。永福寺は源頼朝が奥州攻めで滅ぼした弟の義経や藤原氏など将兵の鎮魂のため建立した大伽藍(がらん)だったが、火災などで焼けて長く廃絶していた。鎌倉市は昭和58(1983)年から寺域1万5800平方メートルの発掘調査を行い、建物の基壇や庭園を整備。市民の憩いの場となっている。

 ★寿福寺 鎌倉市扇ガ谷1の17の7。JR鎌倉駅徒歩約10分。正式には亀谷山寿福金剛禅寺という。臨済宗建長寺派で鎌倉五山の第三位。源頼朝が没した翌年(1200年)に妻の北条政子が日本臨済宗の祖・栄西を招いて開山。境内は非公開だが、外門から山門までの緑陰の敷石道が美しい。裏の墓地に虚子と立子の墓がある。

 

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