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【親子でぶらり 学べるスポット】

成田羊羹資料館(千葉県成田市) 羊羹のルーツ、歩みを伝える

中国の「羊羹」が日本の「羊羹」になるまでの歴史を解説する宮内智さん=千葉県成田市で

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 「羊羹(ようかん)」は「羊(ひつじ)」と「羹(あつもの)」からなる。羹とは熱い汁物という意味。あの甘いあんを固めた羊羹からは想像もつかない。誰もが疑問を覚えただろう。調べて突きとめた方もあろうが、成田山新勝寺の参道にある成田羊羹資料館で尋ねることにした。

 資料館2階には羊羹の歴史や日本各地の羊羹、羊羹作りに使われた道具のほか、資料館を創設した「米屋(よねや)」の創業以来の歩みを展示。同社調査役の宮内智(みやうちさとし)さんは「羊羹のルーツは紀元前の中国にあります。こういうものだったようです」と羊の肉や肝を煮込んだ汁物の写真を見せてくれた。解説を続ける。

 鎌倉〜室町時代、中国に留学した禅僧が日本に羊羹をもたらしたとされる。だが、禅僧は肉食が禁じられていたため、小豆や小麦粉、葛(くず)粉などの植物性原料を蒸したものを羊の肉や肝に見立て汁をはって椀(わん)に入れた。これが日本の羊羹のルーツだ。

 千利休によってわび茶が大成されると、茶会の菓子として汁のないものが供されたと推測され、料理の一品から菓子への過渡期と考えられる。江戸時代には、砂糖の流通量の増加とともに菓子としての地位を確立。江戸前期までは蒸し羊羹が主だったが、1658年(諸説あり)に寒天が発見されたことから、19世紀初頭には小豆、砂糖、寒天を煉(ね)り固めた煉(ねり)羊羹が主流となり、各地に広がった。

 さて、米屋(こめや)が家業だった諸岡長蔵は1899年、羊羹の製造・販売に乗り出す。「当時の参道には二十数軒もの羊羹屋がひしめいていました」と宮内さん。値引きや掛け売りが横行し粗悪品も出回っていた。しかし、米屋は「一切値引き仕(つかまつ)らず候(そうろう)」を店是(てんぜ)に品質本位の商売でお客を獲得していったという。いま門前に残る羊羹屋は3軒しかないのだとか。 (小鷲正勝)

◆ひとこと

 寒天の発見話。江戸時代前期、伏見で旅館を営む美濃屋太郎左衛門が、滞在した薩摩の島津公を心太(ところてん)料理でもてなし、残りを厳冬の戸外に。凍結と解凍の末に寒天となる。

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★メモ 千葉県成田市上町500。JR成田、京成成田両駅から徒歩10分。2002年10月、なごみの米屋總本店全面改装に合わせ、總本店裏手に開設された。1階では創業120周年記念の企画展「成田と米屋の写真展」を開催中(〜9月30日)。2階は常設展スペース。開館10〜16時。休館は展示替えの際のみ。入館無料。(電)0476・22・2266

●足を延ばせば…

 ★小野派一刀流流祖小野忠明の墓 成田市寺台574。成田駅から徒歩30分。永興寺所有の小高い丘にある。忠明は房州御子神(現南房総市)生まれ。一刀流開祖の伊藤一刀斎に入門、正統を継承した。徳川将軍家の剣術指南役に召し抱えられ、2代秀忠の指南役も務めた。寺台の地頭となる。隣には2代忠常(次男)の墓が立つ。

 ★成田山書道美術館 成田市成田640。成田駅から徒歩30分。成田山公園内にあり、収蔵品は古今の日本と中国の書に及ぶ。とくに、これまで見過ごされがちだった江戸時代から現代までの名品を数多く所蔵している。偉人の書跡や史料も紹介。開館9〜16時。入館料大人500円、高校・大学生300円、小中学生無料。原則月曜休館。(電)0476・24・0774

 

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