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【親子でぶらり 学べるスポット】

将門首塚(東京都千代田区) 異形の英雄 1100年後の今も

(右)将門首塚と碑 (左)ビルの谷間の将門首塚は参拝者が絶えない=いずれも東京都千代田区大手町で

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 日本の中心である東京のど真ん中、大手町に「将門首塚」がある。平将門は平安時代前期の武将で、短期間だが関東全域を支配下に収め、朝廷を恐怖に陥れた。討伐され、京都でさらし首になっていたのが勝手に飛来した、もしくは持ち去られて東国に至り、それを葬ったのが首塚の由来である。

神田明神に奉納された浅野健一氏による平将門公像。展覧会で一般公開されている

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 再開発さなかのビル街にあっても首塚の区画は維持され、平日、休日を問わず、途切れることがなく人々が訪れ、石碑を前に手を合わせ祈っている。

 首塚といえば「たたり」伝説だ。関東大震災後、大蔵省庁舎をここに建てようとしたら関係者の不審死が続発したとか、戦後に連合国軍総司令部が区画整理事業をしようとしたら事故が相次ぎ、取りやめた−などだ。

 現在の首塚は、周辺に立地する大企業や神田明神などが護持している。神田明神の岸川雅範権禰宜(ごんねぎ)は「訪れる人はビジネスマンが多い。将門公から力をもらうというより、変事が起きないよう祈っているのでは」と話す。「日本の神は、もともとたたるもの。約700年前、天変地異が相次ぎ、首塚近くにあった当社に将門公を合祀(ごうし)することになったのです」

 首塚の位置は、江戸時代は大名屋敷だった。ここにあった墳墓を将門首塚であると特定した人は、明治時代の官僚織田完之(かんし)だった。織田は仕事で関東各地を回るうち、英雄としての将門信仰が各地で根強いのを知り、研究を進めて、朝廷に逆らった賊(ぞく)という将門像を変え、再評価につなげた。

 将門が活躍した1100年前の東京は、湿地や原野が広がる未開の地だった。高層ビルが林立する一角に、そんな過去との接点が存在し、時の旅人のような感覚を味わえる。 (吉田薫)

◆ひとこと

 「将門公のイメージは人によって異なります。現代のアーティストがどうとらえたか、多くの人に展覧会で見てほしいですね」(岸川さん)

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 ★メモ 首塚の住所は、東京都千代田区大手町1の2の1。地下鉄5線が集まる大手町駅のうち、北寄りのC5出口が近い。参拝無料。現在、周囲は再開発ビルの工事中。神田明神は、JRと地下鉄の御茶ノ水駅が最寄り。築土神社は、地下鉄九段下駅からすぐ。

●足を延ばせば…

 ★神田明神 千代田区外神田2の16の2。奈良時代に大国主命(おおくにぬしのみこと)を主神として大手町付近に創建された。江戸時代に現在地に移った。参拝自由。今春将門像を社殿に奉納し、それを記念した「平将門公展」を隣接の神田明神資料館で開催中。若手芸術家たちによる将門像が見られる。29日まで。拝観料一般300円、学生200円、中学生以下無料。開館9〜16時。8月9〜11日には、納涼祭りも予定されている。盆踊りは18〜21時(雨天中止)。(電)03・3254・0753

 ★築土(つくど)神社 千代田区九段北1の14の21。京都で獄門にさらされた将門の首をひそかに東国に持ち帰り、それをまつったのが神社の起こりとされる。移転を繰り返し、今はビルの谷間に社殿がある。参拝自由。 

 

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