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【親子でぶらり 学べるスポット】

<戦争を考える>満蒙開拓平和記念館(長野県阿智村) 「棄民」の史実、闇に葬らない

満州国の国旗を見せて「五族協和」の意味を説明する野口さん。「五つの民族が共生する王道楽土とうたっても、真実は日本人が威張り腐る国だったのです」

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 中国東北部に1932年から13年間だけ存在した幻の国「満州国」。国策によって、ここに渡った約27万人の移民は「満蒙(まんもう)開拓団」と呼ばれた。

 太平洋戦争終結直前の1945年8月9日、突然のソ連侵攻で満州は戦場と化した。開拓団の人々は飢えと寒さの中、荒野を逃げ惑った。陵辱を恐れて自決したり、難民収容所で衰弱死したりと祖国に帰れぬまま命を落とした者は10万人を超える。

 痛ましい惨禍は、なぜ起きたのか。長野県飯田市近郊に2013年に開館した満蒙開拓平和記念館を訪ねた。

 中央アルプス・恵那(えな)山(2191メートル)の山腹に広がる阿智村。濃い緑の海に埋もれるように真新しい建物があった。

 迎えてくれたのはボランティアガイドの野口次郎さん(89)。県内で30年以上も教職に就き、引退後に満蒙開拓団、中国残留孤児などの埋もれた史実の掘り起こしに携わってきた人だ。手弁当の活動を支えているのは贖罪(しょくざい)の気持ちだという。

 開拓団員を出身都道府県で分けると長野県出身者の数が他を圧して多い。なぜなのか。野口さんは2つの理由を挙げた。

 「当時の長野県の産業は養蚕一辺倒だった。1929年の世界恐慌で絹が大暴落すると、困窮した農民は海外に活路を求めるしかなかった。もう一つ、治安維持法による政府の弾圧を恐れた教育界がこぞって国策に協力した。子供やその家族を説得し、満州に送り出したのです」

 阿智郷開拓団は190人の団員のうち帰国できたのは47人だけだった。生き残った人々が悲惨な史実を後世に伝えるために運営しているのが、この記念館。資金は全て寄付による。

 館長の寺沢秀文さん(65)の両親も命からがらに帰国した経験を持っている。

 館内には帰国者の証言やスケッチ、開拓団の住居の再現模型などが展示されている。 

 「満蒙開拓は他国へ国民を捨てる棄民であった。広島や長崎の原爆の慰霊碑はあっても、国が満蒙開拓団の犠牲者を慰霊する施設はない。この負の歴史を闇に葬ってはいけない」と野口さんは話した。 (坂本充孝)

◆ひとこと

 開拓団員は帰国しても故郷に居場所がなく、へき地に入植する者が多かった。原発被災地の福島県・阿武隈山地にも、そんな開拓地があり、人々は再び家を追われた。

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 ★メモ 長野県阿智村駒場711の10。東京・新宿からJRバスに乗り、中央道昼神温泉で下車(約4時間)。徒歩15分。入場料一般500円、小中高生300円。原則火曜と第2・4水曜は休館。(電)0265・43・5580

●足を延ばせば…

 ★昼神温泉郷 JR飯田駅から路線バス、またはタクシーで約30分。JR上諏訪駅からは直通バスがある。長野県阿智村。阿知川沿いに1973年に発見された新しい温泉地。宿泊施設や日帰り温泉、足湯があり、朝市や「日本一の星空」を見るナイトツアーなど多彩な遊びを楽しめる。阿智☆昼神観光局=(電)0265・43・3001。

 ★「日本のチロル」下栗の里

 飯田市上村。南アルプス連峰に囲まれた遠山郷の奥地に標高800〜1100メートルの急傾斜の山腹に拓(ひら)かれた人口100人ほどの里があり、家屋や耕地が点在している。欧州アルプス・チロル地方を思わせる絶景を見ようとツアーが組まれるほどの人気。「にほんの里100選」にも選ばれた。問い合わせは、遠山郷観光協会=(電)0260・34・1071

 

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