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【親子でぶらり 学べるスポット】

渋沢栄一記念館(埼玉県深谷市) お札になる近代日本経済の父

解説員の説明に聞き入る見学者ら

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 JR深谷駅を降りると渋沢栄一生誕の地をうたう幟(のぼり)が目に付いた。「新一万円札」を祝うポスターもちらほら見える。

 「4月9日に新一万円札の肖像が発表になってからゴールデンウイーク明けまでの1カ月で昨年度の入場者を上回りました」。渋沢栄一記念館の馬場裕子学芸員が目を細めた。

 栄一は1840(天保11)年、現在の埼玉県深谷市血洗島(ちあらいじま)の農家に生まれ、いとこで後の富岡製糸場初代場長尾高惇忠(じゅんちゅう)に論語を学んだ。尊王攘夷(じょうい)の影響も受け、横浜の異人館焼き打ちを計画したことも。その後出奔した栄一は一橋(後の徳川)慶喜に仕官、1867(慶応3)年、慶喜の弟昭武に随行してパリ万博のため渡欧した。

 「欧州には約1年半滞在、議会や銀行などを視察し、社会の仕組みに感銘を受けました」と馬場さん。「帰国するとすでに明治の世の中。もし維新に直面していれば栄一の運命も変わっていたかも」と話す。

 明治政府では国家財政の確立や富岡製糸場立ち上げに取り組み、その後下野、第一国立銀行を皮切りに500社もの設立に関与した。

 「道徳経済合一という基本理念を『論語と算盤』と表現し、実業界の指導者として活躍、社会福祉や教育、国際交流にも力を入れました」という。

 展示室では、異人館焼き打ち計画時の「神託」や、パリ万博時のちょんまげを落とした写真、直筆による論語など多くの資料で栄一の生涯を紹介している。講演の肉声も。見学時には常駐の解説員にいろいろ質問してみることをお勧めしたい。

 ちなみに「栄一を紙幣に」と作られた十万円札を模したお守りも展示されている。御利益はあったようだ。 (仁賀奈雅行)

◆ひとこと

 「渋沢栄一がいまも存在する多くの会社と深いかかわりがあったことを知っていただき、身近に感じていただければ」と馬場さん。

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 ★メモ 埼玉県深谷市下手計1204、JR深谷駅からタクシーで約10分。関越自動車道花園ICから車で40分。渋沢栄一ゆかりの写真や遺墨などを豊富に展示。入館無料。年末年始休館。開館9〜17時。(電)048・587・1100

●足を延ばせば…

 深谷市では渋沢栄一ゆかりの史跡などを「論語の里」として整備、散策マップを発行している。

 旧渋沢邸「中の家(なかんち)」(同市血洗島247の1、年末年始休館)は記念館から徒歩11分。主屋は明治28年に棟上げされた典型的な養蚕農家の造りを残す。尾高惇忠生家(同市下手計236、同)は記念館から徒歩10分。この家の2階で尊王攘夷の謀議をしたといわれる。このほか栄一の喜寿を記念して世田谷区瀬田に建てられ、隣にあった清風亭とともに深谷市に移築された国重要文化財の誠之堂(同市起会110の1、同)や、栄一が設立に尽力した日本煉瓦製造の旧煉瓦製造施設(同市上敷免28の10、見学は土日のみ)などゆかりの施設が点在している。いずれも入館無料。

 

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