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【国際】

「占領軍 攻撃するしか」 2004年イラク陸自砲撃の元民兵

イラク南部サマワで、陸上自衛隊を攻撃した経緯を証言する元民兵ら=4月

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 米軍がイラクに侵攻した翌二〇〇四年、南部サマワに派遣された陸上自衛隊は、イスラム教シーア派民兵の砲撃や爆弾に苦しんだ。「人道復興支援」を掲げる陸自をなぜ、米軍と同じ「占領軍」とみなして攻撃したのか。派遣開始から十五年。元民兵らがサマワで共同通信の取材に応じ「日本を尊敬しているが、軍を派遣するなら攻撃するしかなかった」と証言した。

 サマワは国内で最も貧しいムサンナ州の州都で、人口約十五万人。陸自は〇四年一月から〇六年七月まで駐留し、病院や学校、道路の修復や給水などの復興支援に従事した。

 市民の多くは「日本が来なければ誰も助けてくれなかった」(非政府組織の代表者)と感謝を口にする。だが支援の象徴だった大型火力発電所は部品故障で一三年に稼働を停止。整備した浄水場のモーターも壊れていた。

 四月の夜、サマワの貧困地区にある民家で七人の元民兵が取材に応じた。「私は日本の宿営地にロケット弾を撃ち込んだ」。失業中のサレハ(33)は、記者にお茶を勧めた後そう話し始めた。

 七人はシーア派の反米指導者サドル師派の民兵組織「マハディ軍」の元メンバー。うち二人は駐留オランダ軍に親族を殺害された。米軍に拘束された者も含め警官や技術者などさまざまな職業に転身している。

 マハディ軍は陸自宿営地を十回以上砲撃し、車列にも爆弾攻撃をした。陸自側に死傷者はなかったが「甚大な被害に結びついた可能性もあった」(陸自の「イラク復興支援活動行動史」)。

 当時十代前半だった最年少のアハメド(28)は「戦後復興を果たした日本はイラクの手本。民間支援なら歓迎された」と振り返る。警官になったメイサン(33)は「道路や病院の修復には感謝する」と話した。

 だが年長のハッサン(45)は「日本から来たのは軍隊。占領軍を受け入れる者はいない」。サレハは「攻撃で日本の世論を動かし、政府への撤退圧力とすることが狙いだった」と説明した。

 日本が陸自派遣に踏み切った背景に、イラクへの「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊派遣)」を求める米政府の意向があったことも、元民兵らは把握していた。

 「日本は部隊派遣を米国に強制され、派遣が国益にかなうと考えたのだろう」。一人がそう言うと、ハッサンは「だからといってサマワを(日米協力をPRする)劇場として使うなど許せるわけがない」と訴えた。  (敬称略、サマワ・共同、写真も)

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