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【国際】

NY「差別への反乱」から半世紀 LGBT解放運動、道半ば

 米ニューヨークのゲイバーで同性愛者らが警察の手入れにあらがい、性的少数者(LGBT)の市民権運動を世界に広げた「ストーンウォールの反乱」から二十八日で五十年になる。当事者らは「声を上げるきっかけをくれた」と反乱の意義を語る。しかし、LGBTへの風当たりを強めるトランプ米政権下で、差別との闘いは今なお続いている。 (ニューヨーク・赤川肇、写真も)

 あの夜、通称ツリーさん(80)は食事を終え、同性である男性の友人二人とともにストーンウォール・インへ踊りに行った。いつものように扉をたたき、なじみの店員に顔を見せ、備えつけのノートに適当な偽名を書く。記帳は、店側が不特定多数向けの営業ではなく、「私的クラブ」だと抗弁するための方策。当時、男性同士が公衆の面前で踊ることすら違法だった。

ストーンウォールの反乱の50周年記念展。「ゲイ解放運動のきっかけ」から今に至る歴史を紹介する=ニューヨーク歴史協会博物館・図書館で

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 ◇「変態」

 ツリーさんは警察の手入れには慣れていた。店で身柄を拘束され、留置場で夜を明かした経験は十指に余る。刑事手続きで裁判所に出向くと、裁判官の態度は露骨だった。「変態」。そう呼ばれたこともある。それでも、夜になればまた店に戻る。その繰り返しだった。

 ただ、あの夜は違った。

 「誰かの悲鳴が聞こえたんだ」。いつもの警察なら「さあ皆、一列に並んで」と親しげに客らを誘導するのに、無理やり押したり小突いたりと、暴力的だったという。「だから誰かがやり返し始めた」とツリーさん。外に連れ出された客らが投石で店の窓を割ったり、警察車両に火を付けたりし、やがて暴動に発展した。

 怖くなかったかと、よく聞かれるが、答えは「全くもってノーだ」とツリーさんは話す。警官に危害を加えるようなことはしていない。「私たちは楽しんでいた」。抑圧から解き放たれるようだったという。

バーテンダーとして働くストーンウォール・インの前で、半世紀前の「反乱」を振り返るツリーさん

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 ◇変化

 「ゲイ解放運動のきっかけ」(ニューヨーク歴史協会)として歴史に刻まれた反乱。ツリーさんはその後、バーテンダーとして店で働き始め、今も週三回カウンターに立つ。「性的指向でクビになったり、アパートを追い出されたりもしない。同性婚もできるし、住みたいところに住める」と時代の変化をかみしめる。市警トップは今年、半世紀前の「誤り」を初めて公式に認め、謝罪した。「起きるべきでないことが起きた。市警の行動も法律も差別的、抑圧的だった」と。

 ただ、LGBTを巡る差別禁止の法や政策には州や地域によって温度差がある。連邦法も未整備だ。これまで「謝罪は不要」との立場だった市警の“方針転換”にも、評価する声とともに、警察によるLGBTへの差別的対応が今も残っているとの批判も上がっている。

虹色旗が揺れる「ストーンウォール・イン」の周辺

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 ◇相克

 トランプ政権は、心と体の性が一致しないトランスジェンダーの従軍禁止を発表した。米国ではストーンウォールの反乱にちなんだ「プライド月間」の六月、LGBTの希望の象徴とされる虹色の旗が各所に掲げられるが、米主要メディアによると、トランプ氏は在外公館での掲揚を認めていない。

 ストーンウォールに出入りしていた両性愛者のレベッカ・マクリーンさん(68)は「不合理でバカげている」とトランプ氏を非難する。ただ一方で、LGBTの特別扱いにも複雑な思いがある。「LGBTが大げさに扱われず、誰もがそれぞれの生き方を実現できる世の中になってほしい」。次の五十年を見すえた願いを口にした。

<ストーンウォールの反乱> ニューヨーク市警が1969年6月28日、同性愛者への酒類提供を禁じた法律に基づき、マンハッタンのゲイバー「ストーンウォール・イン」を捜索。客らが身元確認を拒むなど抵抗、店内外で抗議が暴徒化し、騒ぎは断続的に6日間続いた。死者はなかった。連邦最高裁は2015年に同性婚を合憲と認め、オバマ前大統領は16年に同店を含む一帯をLGBT関連初の国定史跡に指定した。

 

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