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【国際】

<奪われる海岸 カンボジアの中国化>(中)家賃2倍 犯罪も増 「第2のマカオ」カジノ林立

7月10日、カンボジア南部シアヌークビルで、中国語の看板が並ぶ市街地

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 カンボジア南部の港湾都市シアヌークビル。大通りに面した六階建ての新しいホテルで、二十代の中国人女性が接客していた。

 中国東部浙江省出身の季静(きせい)さん。六月の開業のころから住み込みで働く。

 シアヌークビルに来たのは「中国人による開発が盛んでお金を稼げるから」。カンボジア語も英語も話せないが、支障はない。客は旅行者か、部屋を寮代わりに使うカジノ従業員で、いずれも中国人だからだ。

 節約のため自炊して出歩かない季さんに、カンボジア人の友人はいない。しかし「言葉が通じないから」とあまり気に留めていない。

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 海岸近くの一等地には中国人向けのカジノが林立する。その一軒で働く四十代の中国人男性従業員は、七月上旬にマカオのカジノから移って来た。

 「ボスから人手不足のシアヌークビルのカジノに行くように言われた。ここのカジノの増え方はクレージーだ」と片言の英語で話し、今や「第二のマカオ」と呼ばれるシアヌークビルの姿に苦笑いした。

 シアヌークビルの人口は十万人ほどだが、ほかに同じくらいの中国人がいると言われる。ここ数年での中国人の急増は、物価上昇などのひずみを生んでいる。

 三輪タクシー「トゥクトゥク」の運転手ロン・ミムさん(36)は、二十平方メートルの部屋を兄家族と二世帯で分け合う。「二〇一七年四月に家賃は月五十ドル(約五千四百円)だったが、二回の値上げで今は二倍の百ドルだ。家賃を払えず、トゥクトゥクで寝起きする運転手もいる」と不満を漏らす。

 「歴史的経緯で中国に反感を持つカンボジア人は多い」。運転手モム・サマチさん(56)は明かす。

 一九七〇年代後半のポル・ポト政権時代、虐殺や強制労働で、国民の四分の一に当たる百七十万人が犠牲になったとされる。中国は東南アジアでの影響力拡大を狙い、ポル・ポト政権に兵器を与え、支援した。

 サマチさんは十三歳の時、一家で強制移住を命じられ、首都プノンペンから農村部へ二カ月間かけて歩いた。「道中、少年兵が市民を撃ち殺すのを見た。あの銃も中国から来たと考えると、現状に複雑な思いがする」

 中国は一時、カンボジアと距離を置いていた。八五年から首相の座にあるフン・セン氏は九七年、政敵を武力排除した事件で国際的に孤立。その時に中国はフン・セン氏を擁護して再接近。援助や投資を拡大していった。

 カンボジアでは中国人による犯罪も増加している。昨年十二月下旬から三カ月間で逮捕された外国人三百四十一人のうち、七割の二百四十一人は中国人だった。フン・セン氏は「中国はカンボジアの建設事業に熟練労働者を派遣している。仕事が終われば彼らは帰る」などと発言し、不安を和らげようとする。

 だが、急速に中国人コミュニティーが広がる中、カンボジア人との融和の動きは追い付かず、両者の溝が深まる懸念は消えない。(シアヌークビルで、北川成史、写真も)

<ポル・ポト政権> ポル・ポト元首相が率いる武装勢力「ポル・ポト派」が1975年に親米のロン・ノル政権を倒し樹立。極端な共産主義で貨幣を廃止し、国民を農村に移住させ、知識人らを処刑した。政権は79年のベトナム軍侵攻で崩壊し、元首相は98年にタイ国境付近で死亡、同派は消滅した。フン・セン首相は同派の軍司令官だったが、粛清を恐れてベトナムに一時亡命、85年の首相就任以降、権力の座にいる。

 

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