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【国際】

<米国民として 日系人と戦争>(2)忠誠心 2世、偏見とも戦った

1944年、フランス・ボージュの森でドイツ軍に包囲された米軍テキサス大隊の救出作戦に成功した直後の442連隊=ゴー・フォー・ブローク全米教育センター提供、共同

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 第二次世界大戦で欧州戦線の戦力が消耗する中、米大統領フランクリン・ルーズベルトは一九四三年二月、それまで禁止してきた日系二世の軍隊への志願を認めて徴兵も復活、二世で構成する陸軍第四四二連隊(約四千人規模)が結成された。日本が「米国は日系人を差別している」とプロパガンダを展開していることも起用の要因となったとされる。

 ハワイ州生まれのテリー・シマ(96)も四四年十月に入隊。四五年五月七日、イタリア戦線に投入されたその日にドイツ軍が降伏したため、自身は前線に出る必要がなくなり、連隊の広報担当になった。以来、語り部として、米国への忠誠を示すために戦った二世の史実を伝えている。

 四四二連隊のモットーは「GO FOR BROKE!(当たって砕けろ)」。フランスでは四四年十月、ドイツ国境近くで独軍に包囲されていた二百七十五人のテキサス大隊のうち二百十一人を救出。五日間にわたる死闘で連隊は大きな犠牲を強いられ、「百八十人の一個中隊で、無傷のまま帰ってこられたのは八人だけだった」(シマ)。

 後に上院議員となるダニエル・イノウエ(故人)も救出作戦に参加。イノウエは四五年四月、イタリア戦線で右腕を失った。ドイツ軍の塹壕(ざんごう)に手りゅう弾を投げ込もうとしたところ、約五メートルの至近距離から銃撃を受け、右肘を撃ち抜かれた。後年「硬直したままちぎれそうな右腕の手から左手で手りゅう弾をもぎ取り、投げた」と回想している。

 連隊は同月には、ドイツ南部バイエルン州ダッハウでナチスの強制収容所を解放。シマは「母国で家族が鉄条網の中に閉じ込められている中、ユダヤ人を解放していることは皮肉だと、二世はみんな感じていた」と振り返る。

 スミソニアン米国歴史博物館の学芸員で、強制収容の歴史を伝える遺品を十年以上収集している実藤紀子(さねふじのりこ)は、ある一世の母が連隊で戦う二世の息子の無事を祈り「GOD BLESS YOU」と縫った「千人針」を手にした時、思わず息をのんだ。「敵性外国人として収容所に監禁されている中、息子が米兵として戦地に送られ、二度と戻れないかもしれないことを考えると、ものすごい葛藤があったのではないか。考えるととても複雑な気持ちになった」。シマによると、連隊には合計約一万人の二世が従軍、六百五十二人が戦死した。

 終戦後の四六年七月十五日、大統領ハリー・トルーマンは、ホワイトハウス南側の公園で連隊の歓迎式典を催した。強い雨が降り、側近が中止を打診したところ「とんでもない。この子たちがやり遂げたことを思えば、少しぐらいの雨など平気だ」とたしなめた。

 その後、シマの目の前で「あなた方は外国で敵と戦い、母国で偏見と戦った。そして勝った」とたたえた。米国への忠誠が認められた瞬間だった。=敬称略(アメリカ総局・岩田仲弘)

強制収容所の母が息子のために縫った千人針(下は布を広げた時の写真)=ワシントンのスミソニアン米国歴史博物館で、岩田仲弘撮影

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