東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 国際 > 紙面から > 2月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【国際】

ロシアに忍者の里 道場主宰の元軍人、和の精神伝える

道場で忍術について語るサモヒンさん=小柳悠志撮影

写真

 「忍者の里」がロシア・モスクワ南西のカルーガ州にある。子どもから大人までの六十人が通って手裏剣を投げたり、忍び歩きを学んだり。なぜ彼らは時代がかった訓練を繰り返すのか。 (カルーガで、小柳悠志)

 「忍術を通して人は礼節を学ぶ」。忍者道場を主宰する元軍人アンドレイ・サモヒンさん(52)は取材にこう切り出した。道場の事務所には吹き矢、手裏剣のほか東方正教会の聖画イコンも。東西の文化が入り交じった空間だ。

 なぜロシアで忍術がはやるのか。

 旧ソ連末期、忍者をテーマにしたアクション映画が西欧から入ってきたのが始まり。超人的な動き、知謀に富んだスパイ活動…。もともと格闘技が盛んなソ連で、多くの青年が「ニンジャ」に憧れた。空手に打ち込んでいたサモヒンさんもその一人だった。

忍術の訓練をするサモヒンさん(左端)と生徒ら=サモヒンさん提供、いずれもロシア・カルーガ州で

写真

 空手といっても日本とは中身が違う。チンピラ同士のけんかや警官への反撃に用いられ、ソ連政府が一時期、空手教育を禁じたほど。サモヒンさんは空手に加え、ボクサーとしてリングに上がる屈強の闘士だった。

 サモヒンさんは一九八六年に陸軍に招集され、イラン・イラク戦争さなかのイラン国境を警備した。この時の危険な体験が転機になった。二年後、故郷に帰るとキリスト教の洗礼を受け、ウクライナで忍術学校に通い始めた。日本文化が「礼譲」あるいは「自然との調和」と考え、忍術を和の精神の象徴ととらえるように。

 社会主義が行き詰まった当時、ソ連で異文化に救いを求める人が増えていた。

 サモヒンさんは「人を殺しうる武術を学ぶと、かえって平和を望むようになる。人を傷つけたくなくなる」と言う。二〇〇五年に初来日。千葉県野田市の忍術道場に通い、戸隠流忍術の初見良昭さん(88)から稽古を受けてきた。

 サモヒンさんはカルーガの忍術道場で、実践的な護身術と和の精神の双方を伝えていきたいと考えている。生徒の三分の二が社会人で残りが子ども。「忍術を通じて冷静さや集中力を磨けば、仕事や学業にも役立つ」と力を込める。

◆帝政期 忍者風の特殊部隊

 ロシアでは十八世紀の帝政期から日本の忍者のような諜報(ちょうほう)・謀略を担うコサック特殊部隊「プラストゥン」が存在した。手裏剣そっくりの星形の武器も古くからあり、少なくとも旧ソ連末期まで実際に使われていた。

 プラストゥンは主に南部カフカス山脈で活動。複数の言語や方言を操り、地元民に成り済まして敵の勢力圏に忍び込んだ。変装が得意で、将官の会話を盗み聞きしたり、敵陣に混乱を引き起こしたりした。日露戦争(一九〇四〜〇五年)で暗躍したとの説もある。

 ロシアは崩壊前のソ連時代もスパイ活動が有名。プラストゥンが培ってきた諜報の技術は現在、政府の特殊部隊に受け継がれているとの見方もある。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報