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【国際】

ロシア史まとう香水物語 農奴解放→革命→クリミア併合

ロシアを代表する香水「赤いモスクワ」

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 ロシアには香水の長い伝統がある。女帝のエカテリーナ二世の治世には既に宮廷で用いられ、社会主義革命を経て労働者階級にまで普及した。二〇一四年のウクライナ領クリミア併合を機に、再び国産品の需要が高まっている。ロシア近現代の国難をしぶとく乗り越えてきた香水とは−。 (モスクワ・小柳悠志、写真も)

 モスクワにあるロシア香水の老舗ノーバヤ・ザリャ(新しい夜明けの意)。代表的な香水「赤いモスクワ」は発売から一世紀を超えるロングセラーで、旧ソ連時代はほとんどの女性がつけていた。「香りが長持ちし、贈り物にも最適」とソ連時代に愛用していたガリーナさん(54)は語る。

 鼻に近づけると、むせ返るほどの甘ったるい香り。店員は「今でもまずまず売れている」と胸を張る。

 ロシアで一六年に生産された香水は、前年と比べて倍増した。理由は外国産からの乗り換えだ。クリミア併合に伴う欧米の経済制裁で、外国産の輸入は直近の二年間で三分の一まで減少。一番人気のフランス産は高根の花となり、国民は安い国産品に回帰した。

 本当はフランス香水が好きなのに…。ロシア女性からはそんな声も聞かれる。

 ロシア香水とフランスは切り離せない。一八一二年に起きたフランス皇帝ナポレオンとの戦いは、フランス流の自由思想をロシアに根付かせる契機に。帝政ロシアが六一年に農奴解放に踏み切ると労働力が都市に流れ込み、工業化の素地が生まれた。この頃、ノーバヤ・ザリャの前身の会社が設立された。

 ロシア国立人文大のオリガ・バインシュテイン研究員によると、至高の製品とされたのがロマノフ王朝の弥栄(いやさか)を願い一九一三年に発表された「皇后の好きな花束」。香りの構成は数年前に完成していた。

 一七年のロシア革命で会社は国有化、お得意さまも王侯貴族から労働者に変わった。「皇后の好きな花束」は中身はほぼそのままで、名称だけ「赤いモスクワ」と改めた。赤は社会主義の象徴だ。

 ノーバヤ・ザリャにはソ連の指導者スターリンが愛したと伝わるオーデコロン「トロイノイ」もある。値段は安いがアルコール度数は60%に達する。ソ連末期、酒類販売制限令が出ると酒代わりに使われた。飲んべえたちがトロイノイを痛飲した後、芳香を放ったか今では確認する術(すべ)もない。

ソ連末期、酒代わりに飲まれたオーデコロン「トロイノイ」

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◆シャネル5番の起源

 世界で最も有名な香水の一つ、シャネルの5番はロシアにルーツがある。ロシア帝政期を代表する香水会社「ラレ」の調香師、エルネスト・ボー(モスクワ出身)がロシア革命後、フランスに移り住んで完成させた。

 シャネルの5番と帝政ロシアの調香師についての著書がある宇都宮大の大野斉子(ときこ)准教授によると、ラレ社は当時まだ珍しかった合成香料を積極的に使い、調香の技術と香りの芸術性をフランスと肩を並べるまでに高めた。近年の研究でシャネルの5番の組成はラレ社で既に発表されていた香水と似ていることも判明。「帝政ロシアの香水は現代の香水のルーツの一つ」(大野氏)と評されている。

 

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