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オリンピアンの遺品

80年ぶりによみがえった映像

 ベルリン五輪(1936年)の飛び込み競技で、そろって入賞した井川政代さん、西沢礼子さん姉妹(旧姓大沢)=ともに故人=とみられる2人を撮影した戦前の35ミリフィルムが、岐阜市の遺族宅で一度も上映されないまま保管されていた。本紙はフィルムをデジタル化した動画を初公開。52秒のモノクロ映像には、美しい弧を描いて水面に吸い込まれていくアスリートの姿が記録されている。(加藤行平)

(この映像の撮影者などに心当たりのある方はご連絡下さい)

飛び込みする井川政代さん=撮影時期不明、西沢礼子さんの長女・土屋栄子さん提供

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 政代さんは23歳で出場したベルリン五輪の飛び板飛び込みで6位入賞。20歳だった礼子さんも高飛び込みで4位入賞した。映像は五輪の前後数年の間に、明治神宮外苑(東京都新宿区)にあったプールで撮影された。

 政代さんは40年に旧満州(中国東北部)出身の井川晴雄さん(44年に戦死)と結婚して渡満。大連にあった井川さんの実家で生活後、旧ソ連との国境近くで軍属のタイピストとして働いた。終戦後の46年、一人娘の章子(あきこ)さん=当時3歳=と引き揚げる途中に感染症のため奉天(現瀋陽市)で死亡した。戦没した軍人・軍属のオリンピアンでは唯一の女性アスリートだった。

 井川さんの弟山県一郎さん(86)=岐阜市=によると、フィルムは政代さんが大連を離れた後も、五輪出場時の写真や記念メダルと一緒に実家に残していたため、終戦時に山県さんが日本に持ち帰った。

井川政代さんが残した35ミリフィルムを保存していた山県一郎さん=岐阜市の自宅で

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 山県さんは戦後、何度か引っ越したがフィルムはその都度たんすにしまい込み、映写したことは一度もなかった。今回、約80年ぶりにデジタルでよみがえった映像を見て、飛び込む女性の一人を「姉に間違いない」と指摘。もう一人は礼子さんから指導を受けた教え子が「礼子さんの飛び込み方だ」と本紙に証言した。

 フィルムは水面に飛び込む2人を見下ろすアングルで撮影されており、国立映画アーカイブの江口浩特定研究員は「競技者の視点で撮影したと考えられ、競技団体などの関係者が記録か選手の参考に撮影したのではないか」と推測する。

 山県さんは「政代さんは実家にいる間、プールに連れていってくれて、見事な飛び込みを見せてくれた」としのぶ。遺品の多くは散逸してしまったといい、残ったフィルムを国立映画アーカイブ(東京都中央区)に寄贈した。

◆幻の東京五輪目指すが…

ラグビージャージ姿の井川晴雄さん=山県一郎さん提供、撮影時期不明

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 井川政代さん、西沢礼子さん姉妹(旧姓大沢)はベルリン五輪後、1940年に予定されていた東京五輪を目指していた。しかし日中戦争の影響で日本は開催権を返上。2人の願いはかなわなかった。

 2人は東京生まれ。飛び込みは政代さんが1930年ごろから始め、礼子さんが後に続いた。政代さんの夫、井川晴雄さんは早稲田大ラグビー部の黄金期を支えた一人だ。

 政代さんは結婚後も競技を続け、41年8月に出場した東京選手権の高飛び込み、飛び板飛び込みでいずれも優勝した記録が残る。娘の章子(あきこ)さんは42年9月に生まれた。

引き揚げ途中に亡くなった井川政代さんと一人娘の章子さん。亡くなる一年前の1945年1月に撮影=土屋栄子さん提供

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 井川さんは満州で召集された後、44年9月にグアム島で戦死した。政代さんは夫の戦死を知らないまま満州に残った。旧ソ連参戦時に章子さんと旧奉天(現瀋陽市)まで避難したが、46年1月に難民収容所で発疹チフスのため33歳で死亡。章子さんも4週間後に死亡した。山県さんは「章子だけでも助けることができなかったか、悔いが残る」と話す。

 当時、母子の身元は不明だった。しかし、所持品にあった日の丸を付けた水着姿の姉妹の写真を、最期をみとった人が日本に持ち帰り、ベルリン五輪平泳ぎ200メートルで優勝した前畑秀子さんに見せ、身元が判明した。

 礼子さんはベルリン五輪で4位だったことを悔しがっていて、「次は勝ちたい」という話を周囲にしていたという。しかし、東京五輪出場はかなわず、戦後は指導者に。周囲には「姉が生きていたら一緒にコーチをしていたかもしれない」と話していた。80歳を過ぎてもマスターズ水泳に挑戦。2010年、94歳で亡くなった。五輪の女子飛び込みでは礼子さんの4位が日本人の過去最高成績だ。(加藤行平)

◆ツバメ型、エビ型、後ろ宙返り

コーチ(左端)ら飛び込み仲間と撮影した写真。左から二人目が井川政代さん、右端が西沢礼子さん。写真には「1935年8月 神宮プール」とあり、政代さんの胸のマークはフィルムに登場する女性の水着のマークと同じ=土屋栄子さん提供

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 フィルムには政代さん、礼子さん姉妹とみられる2人が、ツバメのように手を広げて飛ぶツバメ型飛び込みや後ろ宙返り一回伸び型、後ろ宙返り前飛び込みエビ型などと呼ばれるスタイルで飛び込む様子が写されている。

 関係者によると、明治神宮外苑(東京都新宿区)の飛び込み用プールには4基の飛び込み台があり、高さ10メートルの一番高い飛び込み台の右側に7.5メートル、左側に5メートルの飛び込み台と3メートルの飛び板があった。このプールは姉妹が練習で使っていた場所でもあった。

 カメラは10メートルの飛び込み台に設置され、主に礼子さんとみられる女性が飛び込み台から、政代さんとみられる女性が飛び板から飛び込む様子を上方から撮影。背景には客席や水球のゴールなども写っている。

井川政代さんが遺した35ミリフィルム

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 フィルムの劣化は少なく、保存状態はいい。国立映画アーカイブの江口浩特定研究員は「当時、35ミリ映画撮影用カメラを使用できたのは映画関係者や軍、報道機関など一部に限られていた」と指摘。「ピントが人物にも水面にも合い、動きに応じたカメラ撮影は『プロの仕事』」と評価する。(加藤行平)

 

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