平和の俳句 2020夏

 戦後七十年に読者からの投稿を募って始めた「平和の俳句」は今年、五周年を迎えました。世界中がコロナ禍というかつてない困難に直面する中、約一カ月の応募期間に八千五百三十四句というこれまでで最多の作品が寄せられました。作家のいとうせいこうさん、俳人の黒田杏子(ももこ)さんがそれぞれ選に当たり、十五句ずつ合計三十句を選び出しました。

いとうせいこうさんが選んだ15句

 愚かなる星に二つの原爆忌

 大渕 則雄(おおぶち・のりお)(76) 東京都江戸川区


 国境は無意味と笑うウイルス禍

 横井 隆和(76) 千葉県野田市


 色競うあじさいの花争わず

 土井 由三(よしぞう)(79) 富山県射水市


 風船に曾孫平和と書き飛ばす

 竹下 健作(87) 静岡県湖西市


 ひざの上猫の頭にご飯粒

 神田 いずみ(37) 東京都葛飾区


 早弁(はやべん)を知らない生徒いて平和

 中村 修(91) 三重県四日市市


 半ベソの子を励ましてデモの母

 西尾 登美(とみ)(66) 浜松市天竜区


 他虐より自虐がよろしきりぎりす

 佐藤 晴郎(はるお)(65) 東京都世田谷区


 炭となりし死体に探す母弟

 水井 峰子(84) 愛知県春日井市


 南進は録せぬ戦記汗滲(にじ)む

 佐野 一郎(61) 東京都府中市


 臥(ふ)してなお投票行くと老いた母

 藤井 由紀子(71) 岐阜県可児市


  平和の日いつよと問えば今日と言う

 安井 俊夫(82) 名古屋市西区


 ありがとうと言ってくれてありがとう

 鈴木 主逞(すたく)(10) 愛知県一宮市


 九条を迎え火に且(か)つ送り火に

 坪井 利剛(としかた)(74) 埼玉県狭山市


 父の倍生きて平和の俳句詠む

 山﨑 義盛(88) 福井市


【いとうせいこうさん選評】すべてが多様で愛おしい


 応募数がこれまでのうち最多だ、という事実は重い。その分だけ切実に平和が欲されている。しかも、より広い表現の幅で思いが結実しており、選ぶのもひと苦労であった。

 「父の倍生きた」と振り返る方があり、「あじさいの花」に争いのなさへの望みを託す人があり、「二つの原爆忌」がある地球への嘆きがつぶやかれ、「ありがとう」という言葉に感謝する小学生や、頭に「ご飯粒」をつけた猫がいる。

 あるいはデモに出た母は「子を励まし」、「他虐」こそ問題だと感じる人はアリよりきりぎりすを選んでみせ、母と弟が「炭」となってしまったという語りがこちらを沈黙させる。他にも考え入るような句がそれこそあふれるばかりにあったが、そのすべてが多様で愛(いと)おしかった。

 そう、今までで一番『平和の句』が多彩であったのが心強い。戦争の反対者が一辺倒では、相手の硬直の似姿になってしまうから。


黒田杏子さんが選んだ15句

 ただいまと帰れる家がここにある

 時任 結香(ときとう・ゆうか)(14) 東京都大田区


 車椅子押され押す人晩夏光

 田村 一雄(102) 東京都江戸川区


 古小豆などことことと梅雨さなか

 鈴木 美江子(81) 栃木県那須烏山市


 老犬と海を見つめる沖縄忌

 鈴木みのり(71) 大阪府池田市


 平和なり大海原にデイゴ散り

 鄒 彬(スウ・ヒン)(32) 東京都中野区


 吸って吐く今日も皆(みんな)と生きている

 柳瀬 真彩(まあや)(12)名古屋市瑞穂区


 九条守る署名してかき氷

 橘 光江(75) 横浜市都筑区


 へいわとはにんげんにだけできること

 尾前 勝軍(おまえ・しょうぐん)(14) 東京都江戸川区


 永六輔(えいろくすけ)井上ひさし忘れない

 山路 家子(84) 東京都世田谷区


 平和だねぇこの一言(つぶやき)の世がほしい

 浜本 大蔵(たいぞう)(79) 神奈川県伊勢原市


 部屋のあかり全部灯(とも)った夜がいい

 立石 百代子(もよこ)(85) 福井県敦賀市


 老犬と星を数えて屋根の下

 田中 京子(85) 三重県亀山市


 終戦日わすれはしない草を刈る

 丹羽 俊昭(86)愛知県犬山市


 卆寿(そつじゅ)とは!爆死の友は十五才!

 柳沢 和子(90) 東京都台東区


 おはよう!ありがたいこと生きてます

 永井 玲子(75) 愛知県一宮市


【黒田杏子さん選評】俳句の底力に感動あらた


 過去最多。応募数八千五百三十四句、この事実にまず感動いたしました。そして、さらに素晴らしかったのは、かつてない事態の中で、投句作品全体が内容の深さと存在感を増していたことでした。

 世界最短の詩である国民文芸「俳句」の底力をまのあたりにして感動をあらたにしたのです。

 百二歳田村一雄さんの「車椅子押され押す人晩夏光」。晩夏光の季語に託して、人間のまごころ、助け合う人々の絆が見事に表現されています。中学生のご投句も多く、三人の方の句を入選に頂いておりますが、いずれもこころに沁(し)みる新鮮な作品です。中国出身の方のご投稿もあり、「平和の俳句」の輪のひろがりを示しております。「永六輔井上ひさし忘れない」。山路家子さんのこの句も実にすばらしい。おふたりに代表される戦後の日本人の生き方。戦争の無い社会への希求と祈りを生涯発信し続けた方々のお名前を並べて、俳句という一行の詩を構築された力作。この国の人々の詩語の力のゆたかさをこの夏、あらためて確認させていただきました。


平和の俳句とは

 「平和の俳句」は“軽やかな平和運動”として戦後70年の2015年1月1日に掲載が始まり、17年末まで続きました。きっかけは14年の終戦記念日に掲載した俳人の金子兜太(とうた)さん(18年2月に死去、享年98歳)と、いとうせいこうさんの対談でした。

 当時<梅雨空に「九条守れ」の女性デモ>という俳句が、さいたま市の公民館の月報に掲載を拒否された「九条俳句」問題を、2人は戦前の新興俳句運動に対する弾圧事件に重ねました。戦争に向かう時代の空気に抗(あらが)おうと呼び掛けたのが「平和の俳句」でした。(「九条俳句」は市の違法性を認める判決が確定後、市教育長が作者に謝罪し、昨年2月に掲載された)

 3年間の応募総数は13万1288句。選者は金子さん、いとうさんの2人で始まり、金子さんが体調を崩して退いた17年8月以降は、黒田杏子さんが後を継ぎました。連載終了後も再開を望む声をいただき、18年からは毎年夏の特集として復活しています。

選者のメッセージ

いとうせいこうさん

【いとうせいこうさん】 今こそ自然とつながりながら言いたい「人間らしい言葉」が必要! 読んだ人の 心をあたためる平和の精神で一句お願いします。

<いとう・せいこう> 1961年、東京都葛飾区生まれ。早稲田大卒業後、出版社の編集を経て音楽、舞台、テレビなどマルチに活躍。88年に小説『ノーライフキング』で作家デビュー。99年、『ボタニカル・ライフ』で講談社エッセイ賞。2013年、東日本大震災をモチーフにした『想像ラジオ』で野間文芸新人賞。他に『小説禁止令に賛同する』『「国境なき医師団」になろう!』等著書多数。本紙で、エッセー「日日是植物」(毎月1回)連載中。


黒田杏子さん

【黒田杏子さん】 今年こそ「平和の俳句」。ご自由に存分に。心ゆくまで何句でも。心をこめて しっかりと選句させていただきます。お待ちしています。

<くろだ・ももこ> 俳人、エッセイスト。1938年、東京都生まれ。俳誌『藍生(あおい)』主宰。東京女子大在学中、山口青邨(せいそん)に師事 。広告代理店「博報堂」で『広告』編集長を務めた。句集に『日光月光』(蛇笏賞)、『木の椅子』(現代俳句女流賞、俳人協会新人賞)、『銀河山河』など。金子兜太さんと50年近い交流があった。金子さんの没後に創刊した雑誌『兜太 TOTA』で編集主幹を務める。