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【おそろし 謎めき 北関東の怪談・奇譚】

権力者の領地争い 影濃く 男体・赤城の神争い(栃木県日光市)

日光二荒山神社中宮祠の大蛇神像と斎藤芳史さん。神像は赤城山方面をにらむように据えられている=栃木県日光市で

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◆金色の大蛇と大ムカデ、すさまじい戦い

 昔、赤城山(群馬県)の神様と男体山(栃木県日光市)の神様は中禅寺湖の水をめぐって争っていたが、神様同士の戦いなのでなかなか決着が付かなかった。

 困った男体山の神様は、鹿島の神様に相談し、奥州の山中に猿丸という弓の名手がいることを知らされる。

 男体山の神様は、白いシカにばけ、猿丸の前に現れる。猿丸は白いシカの獲物を追いかけて、男体山へと誘い込まれる。すると、シカは、男体山の神様へと姿を変え、「赤城山の軍勢を撃退したなら、ここ男体山をあなたの狩り場として与えよう」と言い、猿丸も応じることにした。

 翌朝、猿丸が中禅寺湖の西に立つと、地響きとともに、ムカデの大群が攻め寄せてきた。これに対して、男体山の方から白蛇の大群が現れて迎え撃ったが、次第に劣勢となる。

 白蛇の中から、男体山の神である金色の大蛇が鎌首をもたげ、赤城山の神様である大ムカデとすさまじい戦いを繰り広げた。猿丸は、大ムカデ目がけて矢を放ち、その左目を射抜いた。さすがの大ムカデも、急所を射られてはどうしようもない。血を流しながら、赤城へと逃げ去った。(日光二荒山神社中宮祠の「戦場ケ原の伝説」説明文より)

     ◇

 奥日光には、神争いの舞台にちなんだ地名が残る。大蛇と大ムカデが戦った跡が「戦場ケ原」、大ムカデが目を射抜かれて血が出たところが「赤沼」。そして、中禅寺湖岸の「菖蒲(しょうぶ)ケ浜」は、勝負がついた場所とされる。

 現在、その地に立っても、伝説を思わせる碑などはほとんどない。

 男体山の登拝門がある日光二荒山神社(日光市中宮祠)で中宮祠部長を六月まで務めた斎藤芳史財務部長(60)には、伝説にまつわる若かりしころの思い出がある。

 昭和の時代まで、ムカデの死骸をマッチ箱などに入れて持参し、奉納していく人がいたという。「山の中に埋めたが、ここに(退治した)ムカデを持ってくると、何かの御利益があると思っていたのかもしれない」

 また、白い大蛇が奥日光に生息するとの伝承もある。「私は見たことはないが、男体山の神様だと思っている」。斎藤さんは神妙な表情で話した。

 ところで、猿丸とは何者なのか。伝説では男体山の神様の親類とされるが、東北の狩猟民で、男体山ともともとつながりがあった人とも言われる。

 伝説の発端である、水争いの背景には、時の権力者による領地争いの影もまた色濃く漂う。歴史性の強い伝説である。 (石川徹也)

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<メモ> 戦場ケ原などがある奥日光へは、マイカーか、東武日光駅またはJR日光駅からバス利用。

 日光市中宮祠地区では、今春、伝説を観光に活用する動きが生まれ、男体山麓の日光二荒山神社中宮祠の登拝門横に、強化プラスチック製の大蛇神像(高さ約1.5メートル、重さ約80キロ)が設置された。5月には「奥日光大蛇祭り」が開催され、大蛇神像を乗せたみこしが温泉街などを練り歩いた。毎年の恒例行事にする予定だ。

 問い合わせは同神社中宮祠=電0288(55)0017=へ。

 

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