東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > アーカイブ2014 > 二月二十一日 ある死刑囚の記録 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(43)多くの実 結べたか

藤井は恵喜との交流を「宝物でした」と話す=大阪市東淀川区の淀川キリスト教病院で

写真

 加納恵喜(けいき)の死刑執行から一年余の今年二月二十三日、小柄な女性が一人、恵喜が籍を置いた名古屋市内の教会を訪ねた。礼拝で冥福を祈ると、安置されている恵喜の骨つぼから一片の骨をそっと手に取る。「一生懸命生きられたんですよね」。か細く震える声で、そう語りかけた。

 恵喜と養子縁組した母、真智子(仮名)の最期をみとった大阪市内の淀川キリスト教病院付きの牧師藤井理恵(54)。がんを発症し、死を予感した真智子に「少しでも支えてあげてほしい」と頼まれ、二〇〇七年春ごろから恵喜と文通を続けてきた。長年ホスピスで末期患者に寄り添い、死を間近に見てきた藤井だが、死刑囚と接するのは初めてだった。

 〇八年一月のことだ。藤井は阪神大震災でアパートが全壊して亡くなった兵庫県芦屋市の米津漢之(くにゆき)という小学一年生の男の子の日記のコピーを手紙に同封したことがある。震災の前日、家族でカレーを作り置きしたという男の子は「あした、たべるのがたのしみです」とつづっていた。

 人生で二人もの「あした」を奪い、刑死を待つ恵喜と、天災で「あした」を奪われた男の子では「死」の意味を比べようもない。しかし、執行の恐怖に震える恵喜はいたく心打たれたようだった。被害者や遺族からすれば、身勝手にすぎる理屈だが、藤井への手紙にこう感想を記した。「自分の命すら自分でコントロールできない。死ならず生も思い悩むことはない」

 実は、日記のコピーを恵喜に送るよう発案したのは当時、小学六年生の藤井の一人娘だった。あの男の子の担任だった先生が、そのころ、偶然、娘を受け持っていた。日記は命の大切さを伝える教材として語り継がれ、それが娘から藤井へ、そして恵喜へ。恵喜は藤井にこうも伝えた。「人の人生は他の人の心の中で生き続けていくんでしょう。善悪共にです」

 恵喜の死後、藤井は遺品の聖書を引き取っている。赤いしおりひもが挟まれていたページに恵喜が好んだ一節がある。「一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」

 恵喜は「一粒の麦」のように自らの死に意味を見いだそうとしていた。その運命は自身の罪が招いたものだったが…。

 (敬称略)

 

この記事を印刷する

PR情報