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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(44)命の意味問い直す

「わしさん」が寮近くの雪景色を収め、恵喜に送った写真

写真

 加納恵喜(けいき)と文通していた淀川キリスト教病院付きの牧師藤井理恵(54)には娘が一人いる。女の子では珍しいが、彼女が自分のことを「わし」と言うので、恵喜から「わしさん」と呼ばれていた。

 恵喜が死刑執行された二〇一三年二月二十一日、わしさんはまだ雪深い山形県のキリスト教系の高校にいた。実家のある兵庫県芦屋市を離れ、テレビもケータイもない寮生活。夜、寮の管理人宅で、母からの電話を取った。「恵喜さんが天国に行きました」

 夜通し泣きじゃくった。ベッドの中、極端な思いがわき上がる。「大切な人が奪われた。殺した相手を殺したい」。翌日の朝刊。執行を伝える記事に添えられた写真の法相をにらんだ。それから数日は寝込み、授業にも出られなかった。

 わしさんにとって恵喜は「友人」だった。小学生のころから母の文通相手として知っていた。高校に入ると、家にあった恵喜からのすべての手紙を読み、母に代筆してもらう形で、自らも文(ふみ)のやりとりを始めた。

 獄中で刑死を待つ男は「優しくて、賢い、しょうもない冗談も書くおっちゃん」だった。ただし、その身に「死」が迫る。「死をどう受け止めればいいのか。自分はどう生きるべきか」。思春期らしい悩みを重ね、そうつづったら、恵喜が返した。「生と死は背中合わせですから遠いものではありません。(中略)出会いの喜び、別れの悲しみを知って成長してほしい」

 「友人」を殺した死刑制度を認める気にはなれない。ただ、時が気付かせてくれたこともある。

 わしさんは恵喜の事件のことを直接、尋ねたことも、詳しく調べたこともなかった。その人生で何の罪もない二人を殺(あや)めたのが他ならぬ「優しい、おっちゃん」だ。この不都合な事実を「無意識に避けていたのかもしれない」という。自身でさえ、そうなのだから、被害者の遺族が「殺したい」と憎むのも「当然」だと徐々に思えるようになった。

 三年生になったわしさんは迷っていた進路を大学に定めた。「私は狭い世界にいる」。昨秋、大学の推薦入試の論文に、恵喜のことを記し、こう願った。「死刑について、命や人間について、他者と思いを伝え合って、より本質に近づきたい」

 まだ十八歳。この春、大学生になる。 (敬称略)

 

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