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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】

(45)償いにならないが

恵喜の支えになった市原一家。恵喜はむうちゃん(中)のランドセル姿を見たがっていた=東京都内で

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 今年の二月二十一日の朝。市原誉子(しょうこ)(48)が自宅の居間のカーテンを開けると、一年前と同じような青空が広がっていた。ミッション系の幼稚園に通う一人娘のむうちゃん(6つ)が、制服姿で二階から下りてくる。

 「去年の今日、けっけちゃん死んじゃった日だよ。幼稚園でお祈りする?」

 「うん」

 誉子は窓際にある鉢植えのピンクのマーガレットを二輪、空き瓶にさし、むうちゃんに持たせた。登園したむうちゃんは、園の祭壇に花を供え、小さな手を合わせると、足早に教室へ向かった。

 けっけちゃんこと、加納恵喜(けいき)が刑を執行されるまで十年近く交流してきた市原一家。生後二カ月、誉子に抱かれて初めて面会室にやってきた、むうちゃんを見て、恵喜は手紙にこう、つづった。「無垢(むく)でいいですね。このくらいにかえれたら…」

 誉子の夫、信太郎(49)は、恵喜のこんな言葉が今も耳に残る。むうちゃんが二歳くらいだったか。「もし、むうちゃんが何かされたら、この壁をぶち破って相手を罰したい。でも、それは自分にも当てはまるんですよね…」。たぶん、恵喜は自らの人生を振り返り、罪を悔いていたのだろう。だが、その罪と向き合い、償おうとしたのか。

 「死んで償う」。しばしばそんなことを言い、死刑を望んだこともあった恵喜。信太郎は言う。「自分ではどうしようもない状態から目を背けていただけじゃないか」。その死が償いになったとは思えない。

 恵喜は手紙や日記で、しばしば事件を振り返ったり、被害者の冥福を祈っているが、時がたつに連れ、そうした記述が減っていたのも事実だ。二人の命を奪った男がその罪を心から反省し、贖罪(しょくざい)の気持ちを抱いて逝った−。そんな美しいストーリーは描けない。ただ、養子縁組した母、真智子(仮名)や、むうちゃん…。「交流した人たちに『ありがとう』と、感謝して亡くなったと思う」。誉子は恵喜が「ふつうのおじさん」になって死んでいったと信じる。

 「むうちゃんのランドセルを買ってください」。恵喜が残したお金で、市原夫妻は水色のランドセルを注文した。もうじき、むうちゃんはそれを背負って小学校に通う。

 その人生も、獄中での思いも、ほとんど語られたことのない死刑囚だった恵喜。生前、市原夫妻にこう尋ねたことがある。「もし、むうちゃんが自分のやったことを知っても、それでも会いにきてくれるでしょうか」。誉子はいつか、恵喜のことをその罪も含め、語り聞かせるつもりだ。恵喜のために祈り続けるかどうか。そのうえで、むうちゃん自身が決めればいい。 (敬称略)

 =おわり

 

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