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【戦後の地層】

<和解と愛国>(4)日中 「奇跡の友好」試練

聶耳(ニエアル)の肖像板の前で自著を手にする岡崎雄兒さん。肖像板にはビニールカバーが掛けられている=神奈川県藤沢市で(木口慎子撮影)

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 サーファーが行き交う鵠沼(くげぬま)海岸(神奈川県藤沢市)に、中国の国歌「義勇軍行進曲」を作曲した聶耳(ニエアル)の記念碑が立っている。日本に遊学中の一九三五年七月、近くの海でおぼれ二十三歳で亡くなった。

 碑の建設を目指す市民らの運動は、戦後間もない四九年に始まった。中華人民共和国の建国とともに、映画の主題歌だった曲が国歌になったのがきっかけだった。運動を支えたのは、中国侵略に心の痛みを残していた戦争体験者らだ。

 海岸近くで電気店を営んでいた吉田敏平(92)は、碑の除幕式に使う拡声器を貸し出した。学徒出陣で特攻を志願し、鹿児島県の海軍鹿屋(かのや)航空基地で終戦を迎えた。

 戦時中、中国や朝鮮半島の人々を見下し、嫌悪する気持ちを子どものころから植え付けられた。その嫌悪感は戦争の熱狂を下支えした。「日本は土足で中国に踏み込み、やりっ放しで帰ってきた。早く手を結びたいという気持ちがみんなにあった」。今も草むしりを続ける人たちもいる。

 戦中派の思いは、その後の交流につながった。ニエアルの生まれ故郷、中国・昆明市は八一年、藤沢市へ友好都市提携を申し入れ、締結された。

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 こわばる日中関係を象徴するように、碑の近くに立つニエアルの肖像板には十年以上前から透明なカバーがかけられている。周りにスプレーで落書きされたこともある。聶耳記念碑保存会の古橋宏造事務局長(70)は「ただのいたずらでも、国際問題に発展しかねない」と説明する。

 日本の首相の靖国神社参拝、中国の愛国主義教育…。愛国心をくすぐり、求心力を高めようとする双方の政治的な思惑は、民間の交流にも影を落とす。

 尖閣諸島の領有問題で緊迫した二〇一二年には碑を訪れる中国の修学旅行生がぐっと減った。碑の建設運動の中心となった当時の市議の息子、葉山水樹(79)は「どちらもが民族主義をあおった結果だ」と嘆く。

 記念碑の近くで育った岡崎雄兒(ゆうじ)(71)は七月、ニエアルを題材とした「歌で革命に挑んだ男」(新評論)を出版した。

 中国との貿易に二十年以上携わり、侵略の歴史がもたらした負の影響を肌で知る。「昆明は戦時中、日本軍から空爆を受けた。碑をきっかけとした友好関係は、今考えれば奇跡」と語る。中国では「ニエアルは日本で殺された」などのうわさを聞いた。本を執筆したのは両国のわだかまりの解消に一役買いたいと思ったからだ。

 岡崎が翻訳した、ニエアルの日本滞在中の日記にはこんな一節がある。「われわれ芸術を研究する者はみな国際主義者であり、国同士のもめごとには関わらない」(一九三五年七月九日)

 八十年たった今、「楽器のようだ」と評される歌声で国境を越えた日本人歌手がいる。

◆中国でヒット歌手 ライブで日本語合唱

アニメなどを通じて中国でのファン層を広げている歌手の中孝介さん=東京都港区で

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 中国のライブ会場に、日本語の大合唱が響く。鹿児島・奄美大島出身の歌手中(あたり)孝介(35)は、ステージからその光景を見るたびに思う。「政治的にはいろいろあるけど、お客さんにしがらみはない。みんながひとつになる空間」

 二〇〇六年、日本のレコード会社のアジア担当者に「この声は中国でも通用する」と後押しされ、中華圏でアルバムデビュー。出演した台湾映画「海角(かいかく)七号」(〇八年公開)のヒットで知名度が高まり、アニメ「夏目友人帳」のエンディングテーマ曲で若者の支持も広がった。

 「映画で知り、アニメでより好きになった、というのが若い世代」。いまや握手会にファンが殺到するほどの人気を誇る。

 「楽器のよう」と評される歌唱は、奄美大島の伝統的な「シマ唄」がルーツ。かつて琉球、薩摩と帰属が変遷した故郷の島は戦後、米国の軍政下に一時置かれた。「歴史的に虐げられてきた島。唄は悲しみを癒やしてきた」と語る。

 歌で伝えたいのは「なつかしゃ」。懐かしさを意味する奄美の方言だ。「中国のファンに『ノスタルジックな感じがする』と言われたこともある。日本語でも、ちゃんと伝わる」

 今年は、上海など中国四都市を回った。「音楽、芸術などの交流をもっとやったらいい。そうすれば、違って当たり前なんだとお互いを認め合える」

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 中のファン層が拡大するきっかけとなった日本のアニメや漫画は、中国でも若者を中心に人気が高い。

 四年前に中国から来日した東京都内の女子大学院生の陳(26)は「名探偵コナン」がお気に入り。「中国語で『真実はいつもひとつ』という決めぜりふを友人たちとまねしていました」と笑う。

 戦時中、日本軍が攻めてきたため、山中に逃れた曽祖父は、食料も薬もない中、病気で亡くなった。それでも、日本の印象は悪くなかった。アニメに加え、幼少期の思い出があったからだ。

 小学四年生のころ暮らしていた金華市に、友好都市の栃木県栃木市から小学生たちがやってきた。初めて会う外国人。寒い時期に皆が短パンだったことが地元で話題になった。「面白い国だなって。言葉は分からなくても、表情で分かり合えたような気がした」と振り返る。

 今年五月、下宿先の寮と藤沢市が主催するニエアルの記念碑ツアーに参加し、交流の歴史を知った。「私が小さいころはむしろ日中関係は良かった。今は民間がやらないと本当にやばいなって危機感がある」

 対日感情が悪くなったのは高校生のころだと記憶している。靖国参拝の影響で、反日ドラマが盛んになった。「ドラマの言いたいことは分かるけど、私には『生(なま)の記憶』があるから」。人と人のつながりは、国境に縛られることはない。 (福田真悟、文中敬称略)

 

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