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【名建築を訪ねる】

伝統技法を駆使 擬洋風の凹字形 旧吾妻第三小学校(群馬県中之条町)

2008年8月27日

絵・高崎 昇平

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 群馬県の中央部と西端の嬬恋村を結ぶJR吾妻線(渋川−大前)。中之条駅はこの中ほどに位置し、四万温泉や沢渡温泉への玄関口だ。駅前から国道に入って左へ。やがて「資料館通り」の小旗を飾る商店街となり、右手の路地の真っ正面に白壁と濃いグレーの瓦ぶき屋根の建物、旧吾妻第三小学校がある。いまは中之条町歴史民俗資料館となっている。

 校舎の着工は一八八三(明治十六)年。八五年十月四日に開校式を迎え、児童約二百人が学び始めた。全国的な不況下にもかかわらず、工費五千二百円は町民らからの寄付で賄われた。校長の月給が十円だった当時、町民の意気込みが伝わってくる。

 設計者の名は伝わっていないが、八二年に出された「学校建築心得」に準拠し、校舎の構造は「一字形、工字形、凹字形ヲ最良トス」とある中から凹字形を選んだ。外観は擬洋風でまとめ、内部は和風だ。

 資料館の唐沢定市館長(76)は校舎を眺めながら「擬洋風ではあるが、一階と二階、それに二階と屋根のつなぎ方は日本の蔵造りの様式になっている」と話す。維新からわずか十五年余。洋風建築の資料に乏しく、地方での建築にはハンディもあったが、そこは伝統技法を駆使したのだろう。

 開校当初は寺子屋を引き継ぐように教室は畳敷きだった。やがて畳が外され、机といすが並ぶようになる。校名も中之条尋常小学校に改称され、男女が分けられると、中之条女子尋常高等小学校に。さらに男子校と合併し、中之条尋常高等小学校へと変遷。ここまでで校舎の役割を終え、一九一八年からは町役場として使われる。

 七八年に県の重要文化財に指定され、大掛かりな保存修理事業を経て、八二年に資料館として開館した。唐沢館長は「明治初期に建てられた擬洋風では県内に残る唯一の校舎。存在価値は高い。文化発信の基地として活用したい」と語る。

 玄関左側に若山牧水の像がある。牧水が上州を愛するきっかけは、早稲田大学英文科時代にあった。吾妻郡東村(現東吾妻町)出身の歌人・佐藤緑葉が同期で生涯を通じ親友だった。のちに緑葉の義弟となる中之条町出身の田中辰雄も早稲田に学び、牧水と親交があった。作家として名を成す前に二十三歳で夭折(ようせつ)した辰雄。その実家が第三小の隣にあるのが縁(えにし)を感じさせる。 (小鷲正勝)

欄間の竜に18歳の熱意

 旧吾妻第三小学校の施工者は、大工の樋田(といだ)栄太郎(1865−1939年)との記録が残っている。現在の新潟県出雲崎町の出身で、7歳の時、三国街道・渋川宿(群馬県)の大工に弟子入りした。中之条町で第三小の建築に当たったのは18歳の時だった。柱4本が並ぶバルコニー風の玄関の欄間には竜の精巧な彫刻があり、これも栄太郎が自ら彫ったと伝えられている。

 第三小の出来栄えは町民を熱狂させ、県内に存在は知れ渡った。栄太郎の技術を高く評価した町の有力者が、町内の名家・樋田家の養女との結婚をあっせん。分家となって町に根を下ろした。

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 JR中之条駅から徒歩15分。群馬県中之条町947の1。中之条町歴史民俗資料館=(電)0279(75)1922。入館料大人200円、小中学生100円。開館は午前9時−午後5時。休館日は月曜日(祝日は開館)と祝日の翌日(土、日は除く)。

 

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