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【東京通】

<地名編>白山(文京区) 静かさ保つ 神社のまち

2008年6月30日

地名の由来となっている白山神社は、地元住民の生活道路でもある=文京区白山で

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 旧白山通りへと続く坂道を北へ歩き、左の小道に入ると、目指す場所が見えてきた。白山神社へ向かって小道を歩くと、住宅街の中にひっそりと掲げられたジャズ喫茶の看板が目に留まる。かと思うと、大学生らしき女性が食事を楽しんでいるカフェも数軒ある。

 白山の名は、神社と徳川綱吉の白山御殿があったことに由来する、と文京区教委編集『ぶんきょうの町名由来』に記されている。神社は九四八(天暦二)年に加賀国(現在の石川県)の白山神社から分祀(ぶんし)された。

 分祀当初は、今の千代田区境に近い本郷二丁目の給水所公苑(こうえん)の辺りに鎮座していたといわれる。権禰宜(ごんねぎ)の女性(67)に尋ねると、「江戸城の外堀を造る際に現在の小石川植物園内へ移され、さらに綱吉公の御殿を建てる時に、現在の場所に神社が置かれました」とそらんじた。それぞれ一六一六(元和二)年と、一六五五(明暦元)年のことだ。

 白山一、二、四、五丁目に組み込まれ、消えた町名に「指ケ谷町」という名がある。寛永期(一六二四−四四年)には、木立が茂る谷あいだった場所に、タカ狩りに来た将軍家光が「あの谷のあたりも遠からず人家ができて発展するだろう」と指さしたことから、町名がついたという(『消えてゆく東京の地名』)。

 今では、病院や学校が多い便利な文教地区となった。権禰宜の女性は「栄えもせず、衰えもせず、変わらず静かです」とさりげなく自慢する。

 神社本殿と社務所をつなぐ渡り廊下の下を、学生や住民が腰を折ってくぐっていく。白山神社は地名にも生活にも根付いていた。 (越守丈太郎)

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