東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 東京情報 > 知る > 東京通 > 記事

ここから本文

【東京通】

<地名編>青山(港区) 郡上八幡の藩主に由来

2008年9月8日

写真

 青山といえば、ブランドの店や外資系企業が並び、ファッションの最先端を行く国際的な、国内で最も名の知れた地域だ。だが実際には、青山という地名は現在も過去にもない。

 青山の由来は、一帯が徳川家康の家来、青山忠成の所領で、郡上八幡(岐阜県)の藩主を務めた青山氏の下屋敷があったからとの説が最も有力、と区立港郷土資料館。現在の青山霊園がほぼ下屋敷跡に当たり、近くの梅窓院は青山氏の菩提(ぼだい)寺。江戸時代は青山がこの辺りの通称だったらしい。

 一八七二(明治五)年以降、青山北町、青山南町など青山を冠にした町名が出てくる。一九六六(昭和四十一)年の住居表示では、青山通りを境に北側は北青山、南側は南青山となっている。

 梅窓院境内では毎年、郡上八幡に伝わる郡上おどりが催されている。いまや二日間で延べ約六千人が集まる一大行事に。今年は十五回を記念し、主催する青山外苑前商店街振興組合と郡上市観光連盟(岐阜県)が六月に交流協定を交わし、ゆかりの地が結ばれた。

 催しを始めた当時の同振興組合の理事長で現在顧問の小林敬三さん(75)は「青山ならではのもの」として考えたという。「青山に店や会社があっても、青山の歴史を知らない人が多い。由来を知ってほしい」と地元の再認識も目指した。

 東京五輪を機に青山通りは拡張され、その後、地下鉄半蔵門線も開通。商店街のメンバーも生鮮食料品店が消えて企業が増え、青山の知名度は全国区に。小林さんは「まちは移り変わっても、青山の名は大切にしたい。青山に店や本社があるだけで満足するのでなく、歴史に裏打ちされた青山の品格を備えていることを自慢できるまちにしたい」と語った。 (松村裕子)

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報